悪魔ハンター桐嶋ローダVS八咫烏

「ろーだいありー」にて連載中の「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」の外伝ブログです。Google+のコミュニティ「ヤタガラスに抗う会」の後継ブログでもあります。

『日本のいちばん長い日』・その2

昨日の記事。

 

kirishimaloda6915.hatenablog.com

 

これの続きを。

よく考えると、『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(以下『超力兵団』)の二周目を始めたのが2017年であるが(最初にクリアしたのは2009年)、『日本のいちばん長い日』を映画館で観たのが2015年、初めてテレビ放送されたのを観たのが2016年なので、『超力兵団』の二周目を始めて以降この映画をじっくりと観たのは、今回が初めてであった。そのせいか、初めて観た時とはいくらか印象が異なるのかもしれない。

それにしても、『超力兵団』のテーマのひとつは「元気が出るようなゲーム」であるらしいのだが、私はヤタガラスに対して怒りばかり感じるので全く元気にはなれない。しかし不思議なことに、シリアスな『日本のいちばん長い日』を観た後は、明日を生きる元気が湧いてくるのであった。

どちらも大日本帝国時代の日本が舞台で、暗い時代を描いてはいるが、『超力兵団』の方はやたらと「日本の歴史や大日本帝国を美化している」と感じるのに対して、『日本のいちばん長い日』は美化せずありのままに描く(ノンフィクションなのでそうなるのだが)。右翼などは「歴史教科書では、子供たちを元気にするために、日本の歴史・戦争をもっと美化して明るく書け」などと言うが、むしろ日本の歴史を美化せず、明るくも描かない『日本のいちばん長い日』の方が、少なくとも私の場合は元気が出るのだが。

『日本のいちばん長い日』

昨日のBS-TBSで『日本のいちばん長い日』(2015年)をやってたので、つい観てしまう(三年ほど前に地上デジタルでやってた時も観たのに…。実はDVDも買ってあるのに…)。何度観ても面白い。すごく好き(最も好きな日本映画は『キャタピラー』なのだけど)。本家「ろーだいありー」でもレビューを書いたが、その時触れたように劇場でも観たことがある。劇場で観た時が一番面白かった。

この映画には天皇昭和天皇。役者はモックンこと本木雅弘!)が出てくるけど、『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(以下『超力兵団』)とはまったく描き方は異なる(このゲームでは大正天皇だが、時代的には本来なら昭和天皇のはずである)。『超力兵団』は、天皇天皇家天皇制を賛美しているような描き方だとしか思えないが、『日本のいちばん長い日』はそういう描き方ではない。別に反天皇制映画ではないが、それでいいのだ。

世界観的には共通するが(戦前と戦中という違いはあるが、「大日本帝国」を舞台とする点は同じで、軍人が多く出てくるのも同じ)、まるで印象が違うと感じる。『超力兵団』はフィクションで、『日本のいちばん長い日』はノンフィクションを元にしている、という違いはあるけど、それだけではなく、何かが決定的に違うのだろう。どうも、『超力兵団』をプレイするとミリオタ・天皇崇拝者になる若者が現れそうだ、という懸念があるが、『日本のいちばん長い日』はそうは感じなかった。そう考えると、『超力兵団』はやはりミリオタ向けだと言うことかも。

それにしても、今改めてこの映画を観ると、軍人(特におじさん)が宗像のように思えてしまう…。

自由主義史観は沖縄蔑視の歴史観だから…(終戦の日に因み…)

今日は終戦の日ということで、この話を。

たとえフィクションであろうとも、「自由主義史観」を取り入れて欲しくないと思う理由をさらにあげておくと、「沖縄蔑視の歴史観」でもあるからだ。

沖縄戦では「集団自決」をした住人が数多く居たというが、それは日本軍の宣伝(大雑把に言えば「米軍の捕虜になって生き恥を晒すよりは死を選べ、米軍に捕まると酷い目に遭わされるからその前に自決せよ」といったもの)や、日本兵の命令・強制によってそうするように仕組まれた人が多かったと考えられる。また、日本兵が住人を殺すケースもあったという。それは事実であろうが、右派の歴史修正(改竄)主義者はそういった話を切り捨てようとする(ただ問題なのは、一般的な歴史書ですらその「集団自決の軍の関与・日本兵による住人虐殺」を書かない場合もあることで…。一般的な歴史教科書でさえも…)。さらに右派は「一般人でさえも勇敢に戦った…」などと、沖縄戦を美化して語ったりする。「自由主義史観」を取り入れた「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書では、それが露骨に表れている。

デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』の中で、気になるセリフがある。どこかに居る、とある軍人(ノンプレイヤーキャラ)が、「軍人が民間人を殺したりしない…」みたいなことを言う場合がある。これは、確かにこの時代の、この軍人個人の見方ではそういうことになるのだろう。だが、どうもこのセリフには違和感がある。このゲーム上では後の時代の話だが、「沖縄戦の悲劇は考えていないのではないか」と思ってしまう。戦後に発売する青少年向けゲームのセリフであれば、時代背景的に多少不自然であっても、もう少し配慮すべきだろう。「確かに軍人が民間人を殺すことはあるかも知れないが…、しかし自分はそんなことはしない…、したくない…」といったように。

軍人ではない、他の人物のセリフで、「軍人は上官から命令されれば民間人にも銃を向ける…」といったものがあるが、これも多少違うと思う。命令などされなくても、残虐行為をはたらく軍人が居ることには触れていない(別に命令などされていないが、カッとなって「慰安婦」を殺した日本兵が居た、という話は聞いたことがある)。しかもこのセリフは、「軍人は」とは言うが「日本の軍人は」とは言っていないので、あくまでも軍人全般のことを言っているのではないかと感じられ、「日本軍批判ではないな」、と思う。「日本の軍人は~」と書いてしまうと、右翼が抗議するから嫌なのだろうか。

これらに関しては、またいつか本家「ろーだいありー」の「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」シリーズでも詳しく掘り下げてみたいと思う。

なぜ「ヤタガラス」が日本を護るという設定なのか?

これは本家「ろーだいありー」の「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」シリーズでも少し触れたことがあるのだが、改めて。いずれは本家でもっと深く掘り下げたい。

デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』に出てくる組織「超國家機関ヤタガラス」は、「天皇崇拝団体(天皇原理主義団体と言ってもよい)」であるのだが、このヤタガラスが「古来より日本を守護している」という設定になっていること自体がおかしい(矛盾している)と思う。なぜなら、天皇を崇拝している者たちは「天皇の名の下に」起こる戦争(「聖戦」)を賛美・推奨し、その結果としていずれは大日本帝国は崩壊してしまうのだから。つまりヤタガラス配下のライドウも、結果的には日本(帝都)を守護するのではなく、日本を破壊する方向へと向かうことになってしまう。

私は、ライドウの設定自体に別の解釈をしている。「帝都(日本)を守護しているように見えるが、実は帝都(日本)の破壊者である」と。これに関してはいずれ本家で。

今回は、なぜ「天皇崇拝組織が日本を護るという設定にしたのか?」ということについての推測を書いておきたい。このゲームの製作者は、「明治天皇昭和天皇までの天皇は軍の大元帥ではあったが、本来は平和主義者であり、戦争責任は無い。戦争責任は軍部が負えば良い」と思っているのではないか。そして、そういう考えの人(日本人の大半はそうなのかもしれないが…)にしかプレイして欲しくなかったのではないだろうか。そう考えれば、この設定なのも理解できなくは無い。また、右翼は「天皇家天皇制は素晴らしい日本の伝統、天皇がいるからこそ日本は安泰、これがなければ日本じゃない、天皇こそ平和の象徴…」などと思っていたりする人が多いのだろうが、そういう人向けに作ったとも考えられる。

だがしかし、天皇制廃止論者(私は天皇制廃止論者ではないし、その手の人・組織には近寄らないが)、天皇制は差別の象徴と考える人、天皇の戦争責任について真剣に考える人、天皇は平和主義者だったなんてのはまやかしである(私はそう思う)と思う人は少なからず存在しており、そういった人が見ると「天皇崇拝組織が日本を護るなんてありえない! むしろ日本を破壊するのだ」と怒りを覚えるのは間違いないだろう。少なくとも私はそうである。そのような人もプレイする可能性があることは考えていなかったのだろうか。

「所詮ゲームだからごちゃごちゃ言うな」という意見への反論

過去の記事。

 

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今回はこれと似たような話である。私は『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(以下『超力兵団』)の世界観や歴史観、シナリオにはいろいろ問題が多いと考えている。特にヤタガラス(天皇崇拝団体)のこととか、第七話とか。

だが、どのゲームにせよ、「このゲームの表現には問題がある」といった話をすると、必ずと言っていいほど「所詮ゲームだからごちゃごちゃとうるさいことを言わないでほしい、イチャモン付けるな、楽しければいいのだ」と反発する人々も現れるわけだ。

しかしはっきり言うが、「所詮ゲームだから」ではなく、「所詮ゲームだからこそ」あえて「ごちゃごちゃうるさく言わないといけない」場合もある、と私は思う。

ゲームが、まだ「ほとんどマニアか子どもだけの娯楽に過ぎないし、大した影響力も持たず、グラフィック表現なども稚拙であった」時代(アーケードゲームパソコンゲームファミコンぐらいしかない時代)であれば、「楽しければいい」というのも一応は通じたと思うし、ごく限られた人しかやらない「同人ゲーム・自主制作ゲーム」であれば、別にどんな表現を使ってもいいとは思う。だが、『超力兵団』は青少年向けの商用作品であり、発売されたのが2006年(PS2ゲームキューブXbox等の時代)で、PS2という「リアルな表現(PS4には及ばないにせよ)が出来るようになったハードのソフト」であることを考えると、もっと「青少年への影響力・社会への影響力の強さを考えて作るべきだった」と言わなければならない、と考えている。たとえ『メガテン』という、マニアックなシリーズであっても。

原爆の描写について(長崎原爆の日にちなみ…)

今日は「長崎原爆の日」であり、テレビでよく「原爆」についての話が放送される時期でもあるので、この話もしておこう。いずれは本家「ろーだいありー」の「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」で詳しくやるつもりである。

デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』のラスダンでは、「(このゲーム上での)未来には、日本に原爆が落ちるであろう」というような、簡素な描写がある。

しかし、それは「戦争を長引かせた天皇の責任」(このゲームではその天皇昭和天皇とは限らない。大正天皇である可能性も…)であることや、天皇崇拝の「超國家機関ヤタガラス」もまた、その責任を免れないだろうということ、そしてヤタガラスの配下であるライドウもその責任を負わなければならない、といったことには一切触れてはいない。東京には原爆は落ちなかったからいいとでも言うのか(東京大空襲はあったけど)?

暗い未来しかないのに「元気が出る」とはどういうことだ…

過去記事二つ。

 

kirishimaloda6915.hatenablog.com

 

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デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(以下『超力兵団』)のコンセプトには「元気が出るようなゲームを作る」といったものもあったらしい、という話。これをさらに続けてみよう。

はっきり言うが、『超力兵団』の未来は暗いものでしかない(いずれは満州事変が起き、日本は戦争を起こすし、東京大空襲も起こるし、沖縄戦や原爆投下もある)。そしてライドウの未来も、暗いものでしかないだろう(いずれは戦争に行かなければならないのだし…)。それなのに、「元気が出るゲーム」とは一体どういうことなのか。コンセプトとゲームの世界観がズレているとしか思えない。

本当に「元気が出るようなRPG」を作るのならば、このような「軍国主義時代の日本」という世界観はまず避けるのが無難だと思うが。むしろ架空の幻想世界を舞台にするか、戦後の日本を舞台にする方が、そのコンセプトには合っていると思う。さらに言うと、「軍国主義時代の日本が舞台のゲーム」というだけでも(別にミリタリーゲームに限らず)、ものすごく嫌悪するゲーマー層・メガテニストも確かに存在するので、そういう意味ではこのゲームの世界観自体がとても微妙で、危ういものだ。そこに「元気が出るようなもの」というコンセプトを組み合わせることは、かなり無理があると考えている。

それと、「元気が出るようなもの」と考えてみると、もしかすると『超力兵団』のラスダンで見られる「(このゲーム上での)未来の描写」も、本当は「日本は戦争に勝つ、原爆や空襲もない」みたいな「明るい描写」にしたかったのではないか? とも思った。このゲームでは「関東大震災」と「その後に起きた朝鮮人虐殺」が無かったことにされているのだが、それも踏まえると…。つまり、いわゆる「架空戦記もの」みたいな。しかし、さすがにそれをやってしまうと、反戦派などから抗議される恐れもあるので、出来なかったのかも知れない。まあ、「関東大震災がなかったらしい」という設定もまた、かなり問題があると考えるが(「~らしい」としたのは、具体的にゲーム上では語られず、設定資料集などでしか分からないから。この時点で何か後ろめたいものを感じるが…)、それはまたいずれ本家「ろーだいありー」の「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」で書きたいと思う。