昨日は、「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」を書き始めたきっかけを簡単に記してみたが、その続き。
前回、『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(以下『超力兵団』)に登場するシナリオ「第七話・呪われた探偵」について、「このシナリオに戦慄を覚えるか、それとも何の疑問も無く受け入れてしまうか、によって、このゲームの評価は大幅に変わるだろう。不安なのは、恐らくこのゲームのプレイヤーの大半は後者だろう(特に若い人は)、ということだ」と書いたのだが、なぜ「不安なのか」ということについて記す。
このシナリオに関しては、詳しくは本家「ろーだいありー」にある「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」シリーズを参照してほしいが、一言で言えば「超國家機関ヤタガラス(以下ヤタガラス)という組織のおぞましさが凝縮されたもの」である。
このシナリオを「何の疑問も無く受け入れてしまう」ということは、その「『ヤタガラスのおぞましさ』が分からない」ということである。
ヤタガラスのモデルは「国家神道」であると確信している(これに関しても本家ブログ参照)私は、このシナリオは大変おぞましいものであると戦慄するが、「国家神道」について詳しく知らない人は、「なぜおぞましいのか分からない」のだろう…、というところが不安なのだ。日本の近代史(特に戦争について)を正しく学ばなかった人は、自然とそうなってしまうだろう。『超力兵団』のプレイヤーの多くは、きっとそうだ(ごく一部の人は除き)。
だからこそ、私はヤタガラスのおぞましさを広めるために、そして『葛葉ライドウ』シリーズに関しては、今の日本ではもう出すべきではない(特に『超力兵団』についてはそうだ)、ということを言うために、「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」シリーズを書かなければならないと思っている。
たとえ、12年前のマニアックでマイナーなゲームのことであろうとも、ね。