悪魔ハンター桐嶋ローダVS八咫烏

PS2ソフト『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』と続編及び『葛葉ライドウ』シリーズの復活を阻止したいと思うメガテニストが書くブログ。ただしライドウは尊いと思っているよ?

なぜ『古事記』を実話にしてはいけないのか?

今、Wiiのバーチャルコンソールで、『旧約・女神転生』(スーパーファミコン)に収録の、リメイク版『デジタルデビルストーリー 女神転生』(以下『DDS女神転生』)をプレイしていることは何度も書いたが、このゲームは元々、西谷史氏のライトノベル(当時はこういう呼び方は無かったと思われるが)が原作。

この小説で、「主人公・中島は『イザナギ』(日本の神様)の生まれ変わり、ヒロイン・弓子は『イザナミ』(イザナギの妻)の生まれ変わり」という設定があり、それがゲームにも反映されていると考えられる。

なので、この『DDS女神転生』の世界では、『古事記』が実話になっているのだろう。私は、それを問題視するつもりは無い。このゲームの場合は…。

その理由は、『DDS女神転生』は(原作小説が書かれた当時の)現代日本を舞台としているためである(とはいえ、ゲーム版ではほとんどダンジョンしか出てこないが…)。戦後の日本では、「皇国史観」(『古事記』・『日本書紀』を実話とする、天皇中心の歴史観)は、すでに使われてはいないから。

だが、『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(以下『超力兵団』)の場合は、『古事記』を実話として描くのは、非常に問題がある。第伍話などを見れば分かるが、この『超力兵団』の世界では、『古事記』が実話であることが強調されている。

『古事記』を実話とするのは、戦後日本を舞台とする『DDS女神転生』では特に問題は無くても、戦前(1931年)日本を舞台とする『超力兵団』では「非常に問題がある」のだ。

何故なら、戦前日本では「皇国史観」が平然と使われており、国によって「天皇崇拝」が国民に強要され、これが戦争へと繋がったのだから…。この時代背景で、『古事記』を実話にするのは、「右翼っぽい人が喜ぶ設定」であり、ゲーム好きの「ごく普通の若者」には相応しくない。さらに、21世紀の日本で発売するゲームの設定としても、好ましくないのだ。

『超力兵団』の第伍話について詳しくは、本家「ろーだいありー」で書いた記事「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」の第六回目を参照のこと。

↓リンク先

https://lucyukan.hatenablog.com/entry/2018/08/14/091839