以前書いた記事。
kirishimaloda6915.hatenablog.com
『新しい歴史教科書』(扶桑社、2001年)などに使われている「自由主義史観」を、ゲームに取り入れてはいけない、という話をしたが、それについてもう少し掘り下げてみる。
そもそも「自由主義史観」とは、どんな目的で提唱されたか、ということをよく考える必要があろう。表向きは「子どもたちに自信を持たせるため」と言っているが、実際のところは「日本の加害歴史を消すため(主に戦争中の)」としか考えられない。最終的には「憲法9条改正(改悪)」と「戦争」に向かう歴史観、とも言える。
このような「恐るべき歴史観」を、ゲームに取り入れたとしたら、子どもたちにどんな影響があるか…、ということを考えれば、おのずと答えは出てくるのではないか。
『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』の歴史観に、本当に「自由主義史観」が取り入れられているのかどうかは分からない。でも、様々な角度から検証すると、「何となく似ている」(「関東大震災」を無かったことにしているのは非常に近いし…)、と思ってしまうのが…。製作者も、「日本の子どもと若者に、日本に生まれて良かったと思わせるために作った作品です」と思っているのかも知れないが(その時点でナショナリズムを感じるけど)、本当のところはやはり「日本の加害歴史を、無かったことにしたいなあ」という願望から作られた作品、のような気がするのだ。