『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2。以下『超力兵団』)と、続編の『デビルサマナー葛葉ライドウ対アバドン王』(プレイステーション2。以下『アバドン王』)とでは、明らかに雰囲気が違いすぎる、ということについて書いてみよう。
登場人物や街マップ、悪魔デザインなどは共通の部分が多いが(『アバドン王』だと、戦闘シーンは全くと言っていいほど『超力兵団』とは異なる。どうもここだけは別の会社が作っているらしいが…?)、『超力兵団』の「ミリオタ向け・天皇好き向け・右翼向け」といった部分を一掃しようとした痕跡が感じられる(天皇も登場しないし、天皇を救えというイベントも無いし…)。『超力兵団』では重要な場所だった「大道寺邸」が、続編では入れなくなっているのは何故だろう。軍事色の強い「霞台」(陸軍の施設があるところ。『超力兵団』では重要なエリア)も、『アバドン王』では「必ずしも行く必要は無い場所」に変えられている(サブイベントを引き受けた場合のみ行ける)。
これは、もしかすると『超力兵団』には、抗議・批判がそれなりに寄せられたためではないか、とも考えられる。「ミリオタや天皇好き向けの右翼っぽいメガテンを作るとは何事だ!」といった感じの批判が…。私だって、もしリアルタイムで『超力兵団』をやってたら(実際は2009年に初プレイした。しかも続編より後…)、徹底的に抗議したのは間違いないだろうからね。
だから、『アバドン王』では「ミリオタ向け臭・天皇好き向け臭・右翼向け臭」を極力消そうとしたのではないか。シナリオも、明らかに前作とは違いすぎるのも気になる(シナリオライターが異なるためか。右翼臭を消すために『超力兵団』のシナリオライターは降板させたのかも知れない?)。『超力兵団』が、『帝都物語』(荒俣宏)と『女王蜂』(横溝正史)を思わせるのに対して、『アバドン王』は『悪魔の手毬唄』、『八つ墓村』(共に横溝正史)あたりを思わせるわけだし…。特に『悪魔の手毬唄』の方。