悪魔ハンター桐嶋ローダVS八咫烏

PS2ソフト『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』と続編及び『葛葉ライドウ』シリーズの復活を阻止したいと思うメガテニストが書くブログ。ただしライドウは尊いと思っているよ?

『帝都物語』について・その5

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ようやく『帝都物語』の第十巻まで再読終了したので、『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(以下『超力兵団』)と比較しつつ感想を書きたいと思う。

『超力兵団』より『帝都物語』の方が好感が持てるのは、「ラストの解釈は読み手にゆだねられているのではないか」と思えるところである。最後の方で、「東京に再び大災害を起こして破壊する」という魔人の目論みは成功した。だがそれでも東京を完膚なきまでに破壊することは出来なかった…、いずれは再生するだろう…、といった救いがあるわけだが(そういえば『真・女神転生』もそんな話であった)、これは「東京破滅を目論む方が勝った」とも言えるし、「東京破滅を阻止する方が勝った」とも言えるし、特に勝ち負けとかは無く、引き分けだったとも言える…。私は、「東京を破滅させる方」が、完全ではないが一応は勝った、と解釈している。ちなみに『帝都物語』の終盤では、この小説が書かれた当時から見た「未来」も出てくるが、前にも書いたように「昭和66年」など、ありえない元号になっていたり、「ポケベル」はあっても「携帯電話」が無いなど、現実とは違うところが何となく面白い。

さらにもうひとつ良かったのは、「東京を救う方が善」、「東京を破滅させようとする方が悪」という単純な構造ではないところ。大人向けの小説なので、あえて単純な構造にはしなかったのでは。単に、東京を破壊しようとする側と救おうとする側が居て、善悪の区別は無く、長きに渡る二つの勢力の争いを俯瞰している…、というような構造だと思う。

また、特に「この人物が主人公である」とは設定されていないのだろう、と思えるところもいい。多分、この小説では主人公は「東京そのもの」であり、登場人物たちはどれも主人公ではないのかも知れない。

対して『超力兵団』では、結局のところ「天皇にまつろわず、帝都を破壊しようとする者たちは悪役」、「帝都(というより実質的には「天皇」と「国体」だと思う)を救う方が善人で、主人公」という、単純な「勧善懲悪」の構造になってしまっている点と、帝都を救う方にばかり感情移入させようとしている点、ラストも最初から決められている点は非常に問題である。ゲームなので分かりやすくするためだろうが、青少年向け作品としては相応しいとは言えないだろう(さらに『メガテン』としても相応しくない)。天皇嫌いの人、天皇制廃止論者もプレイする可能性があることを考えれば…。『帝都物語』は、単純な勧善懲悪の話ではないのに、それと似たものを、どうしても「勧善懲悪の話」になりがちな「RPG」という枠でやってしまったのが、『超力兵団』の最大の問題点・失敗した点なのだと思っている。