『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(アトラス。プレイステーション2)で、主人公のライドウが悪魔退治などで活躍するのは、確かにカッコよく見える…、だが、それはいったい「誰のために、何のためにやっているのか」と考えてみると、そこにはある問題が生じるのだ。表向きは、「ヒロインの伽耶を救うため、一般市民を救うため」と映るだろう。だが、本当のところは違う。
このゲームの世界観(戦前の日本)を考えてみれば、ライドウが本当は何のために戦っているのかが分かるだろう。結局は、「天皇(日本軍の大元帥)のため、国体(天皇制国家)維持のため、臣民(言い換えると「天皇の赤子」)のため」だということだ。そこが、「戦後の日本国を舞台としたRPG」(例・同社の『ペルソナ』シリーズ)と、古典的なRPG『ドラゴンクエスト』(以下『ドラクエ』)、『ファイナルファンタジー』とは異なる。
このように、「ライドウは、天皇と国体と『天皇の赤子』を救うために悪魔退治などをしている」と考えてみると、「それのどこがカッコいいのだ? 天皇と国体を救うのは、天皇の起こす戦争に積極的に加担しているってことだろう。臣民を護るのも、戦争に参加する『臣民』がいなくなっては、天皇が困るからなのだろう?」と感じて反発を覚える、天皇嫌いのプレイヤーも当然現れるのだ。そのあたりが、「勇者がお姫様を助け、悪の魔王を倒して、世界に平和を取り戻す」話である『ドラクエ』とは違うし、「戦後の日本国に生きる高校生が、悪魔退治をして市民と街を救う」という『ペルソナ』シリーズとも違う。そのこともよく考えて作るべきであったと思う。