悪魔ハンター桐嶋ローダVS八咫烏

PS2ソフト『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』と続編及び『葛葉ライドウ』シリーズの復活を阻止したいと思うメガテニストが書くブログ。ただしライドウは尊いと思っているよ?

「普通の人々」の歴史観でさえも…?

右派の歴史修正(改竄)主義にハマる人々、「嫌韓・嫌中」にハマる人々の歴史観・民族観が歪んでいるのは分かるが、しかし不安なのは、そういうものに特別に凝っているわけでもなく、右翼でもない「普通の人々」であっても、「この人の歴史観・民族観はちょっと変なのでは…」と感じる場合もあることだ。単なる「勉強不足」というのもあるのだろうが。

ネットでは時々「私は嫌韓ではないですよー、韓国に詳しいよー、韓国旅行するよー、韓国人とも仲良しですよー、韓国人といろんな話するよー」と言う人が居るが、どうもあまり信用出来ない。やはり「根底には強い偏見があるのでは…」、と思ったりする。そもそも「韓国によく行くから、韓国人の友達が居るから、話をよく聞いてるから…」と強く主張する自己紹介自体が怪しいのかも知れない(そう言ってそれを「免罪符」にしようとしているのか? と思えたりする)。根底に「韓国に対して何らかの強い偏見」がある場合(例えば嫌韓本のタイトルみたいに「韓国人は嘘ばかり言う」、「日本は植民地支配で韓国にいいことをしたのに、韓国は感謝してないから恩知らず」というような)、それを払拭できなければ、どんなに「韓国人と仲良し」でも意味が無いだろう。

そもそも、日本軍「慰安婦」問題、植民地支配の問題などは「国際的な問題」だし(さらに日本軍「慰安婦」問題は「女性の人権」問題でもあるわけで)、かつての「日本軍「慰安婦」制度」は国際的にも批判されているのに、それらを「日韓・日中だけの問題としか思わない」ことは間違いだし、「韓国人(または中国人など)の話と、日本人の話だけ聞いて、日本軍『慰安婦』問題や植民地支配の問題などを理解したつもりになっている」ことも間違っているのだ。狭い視野で物事を見るのではなく、もっと視野を広げなければ理解したことにはならない。

中西新太郎氏の文でこのようなものがある。長いがとても核心をついていると思うので引用する。

言うまでもなく日本軍「慰安婦」問題は、戦争被害者や植民地支配の犠牲者に対する宗主国の責任をどう捉えるか、女性に対する人権侵害をどう捉えるか、という問題である。戦争と植民地主義による被害の実態をより深く究明することと不可分の歴史認識の進展・豊富化の問題でもある。したがって、韓国や中国との関係にとどまる問題では決してないし、欧米諸国も含めた世界的な枠組みのなかで、東アジアの戦争責任、植民地主義の問題をどう捉えていくのかという問題の立て方が必要となる。しかしこの問題を韓国・中国との間にある歴史問題とのみ捉え、かつ非常にアクティブな反発をあらわにする人びとが近年生じてきていると言える。*1

…いくらこのようなことを言っても、あまり勉強してない「普通の人々」には理解出来ないのかも知れない。だから、「所詮は日韓・日中の間だけの問題、歴史認識の問題に過ぎないのだろう」としか思えないのか。

また「昭和天皇に戦争責任は無い」、「日本に戦争責任は無い、米国が悪い」と考える「普通の人々」も、日本にはそれなりに居るのだろう。今でも「天皇好き」、「皇室ファン」が多いことを踏まえると。

『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』の製作者の歴史観が、「極端に右翼寄りである」かどうかは分からない。ただ私の感覚では、「このゲームの製作者は、ひょっとしたら右派の歴史修正(改竄)主義に感化されているのかも…」と思うことはある(ゲーム中のセリフなどを見ると、「もしかすると、製作者は『戦争責任は全て米国にある』とでも思っているのだろうか?」などと感じたりするし)。しかしながら、たとえ「右翼ではない普通の人」が作ったものだったとしても不思議では無い…、のだろうか? 今のこの日本という国では。

参考・引用文献

  • 「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任(「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター編/大月書店)
  • アジアの声・第11集 私は「慰安婦」ではない 日本の侵略と性奴隷(戦争犠牲者を心に刻む会編/東方出版)

*1:中西新太郎「なぜ多くの若者は「慰安婦」問題を縁遠く感じるのか――若者の現在を読み解く (4)アジアの経済成長と日本経済の衰退のなかで」(「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター編『「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任』(大月書店/2013年発売)、150ページ)