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kirishimaloda6915.hatenablog.com
この中で、「フィクションの歴史を鵜呑みにする大人はまず居ないだろう」といったことを書いたが、しかしよく考えると、賢明な大人でも「司馬遼太郎」の小説の歴史観(よく「司馬史観」と呼ばれる)が正しいと信じ込む人々は居るのだった。
「新しい歴史教科書をつくる会」、「自由主義史観研究会」の人間にしてもそうだったはずだ。そもそも「司馬遼太郎先生の本に感動した(「司馬史観」に感銘を受けた)」から、この「自由主義史観研究会」を立ち上げたのだ…、といったことはメンバーが言っていたと思う。
司馬史観とは、簡単に言うと「明治の日本は良くて、戦前の日本は良くない」という歴史観と考えられる。要は「明治栄光論」である。他にも「今の日本国と、かつての大日本帝国は連続していない」という考え方もあると思われる。
『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』も、その「司馬史観」に影響されている可能性は否定出来ない(製作者の中に、司馬作品を愛読する人が居ても不思議ではない)。このゲームの場合は「明治~大正~昭和初期までは良かった、アジア・太平洋戦争が始まってからは悪い」と主張しているようにも見える。ただ、「アジア・太平洋戦争が始まっても、日本は何も悪くない」と言いたいのか…? と思える場面もあったりする。
参考文献
- 司馬遼太郎の歴史観 その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う(中塚明著/高文研)