悪魔ハンター桐嶋ローダVS八咫烏

PS2ソフト『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』と続編及び『葛葉ライドウ』シリーズの復活を阻止したいと思うメガテニストが書くブログ。ただしライドウは尊いと思っているよ?

「所詮ゲームだからごちゃごちゃ言うな」という意見への反論

過去の記事。

 

kirishimaloda6915.hatenablog.com

 

今回はこれと似たような話である。私は『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(以下『超力兵団』)の世界観や歴史観、シナリオにはいろいろ問題が多いと考えている。特に「超國家機関ヤタガラス」(天皇崇拝団体)のこととか、第七話とか。

だが、どのゲームにせよ、「このゲームの表現には問題がある」といった話をすると、必ずと言っていいほど「所詮ゲームだからごちゃごちゃとうるさいことを言わないでほしい、イチャモン付けるな、楽しければいいのだ」と反発する人々も現れるわけだ。

しかしはっきり言うが、「所詮ゲームだから」ではなく、「所詮ゲームだからこそ」あえて「ごちゃごちゃうるさく言わないといけない」場合もある、と私は思う。

ゲームが、まだ「ほとんどマニアか子どもだけの娯楽に過ぎないし、大した影響力も持たず、グラフィック表現なども稚拙であった」時代(アーケードゲーム・パソコンゲーム・ファミコンぐらいしかない時代)であれば、「楽しければいい」というのも一応は通じたと思うし、ごく限られた人しかやらない「同人ゲーム・自主制作ゲーム」であれば、別にどんな表現を使ってもいいとは思う。だが、『超力兵団』は青少年向けの商用作品であり、発売されたのが2006年(プレイステーション2・ゲームキューブ・Xbox等の時代)で、プレイステーション2という「リアルな表現(PS4には及ばないにせよ)が出来るようになったハードのソフト」であることを考えると、もっと「青少年への影響力・社会への影響力の強さを考えて作るべきだった」と言わなければならない、と考えている。たとえ『メガテン』という、マニアックなシリーズであっても。