昨日の記事。
kirishimaloda6915.hatenablog.com
この中で、『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(以下『超力兵団』)をクリアしても、私の場合はカタルシスが得られないといったことを書いているが、その理由について。
このゲームのエンディングは、要約すれば「ラスボスを倒し、ヒロインを救い、帝都と大日本帝国…というよりは『国体』(天皇制国家)を救う」ものだと考えている。これは要するに、初代『ドラゴンクエスト』(ファミコン。以下『ドラクエ』)で「ヒロイン・ローラ姫を救い(実は救わなくてもクリア出来るらしいが)、ラスボスを倒し、王国の危機を救う」話とほとんど同じであるし(世界観こそ違えど)、また私の好きな『シャイニングフォース・神々の遺産』(メガドライブ。以下『神々の遺産』)で、「ラスボスのダークドラゴンを倒し、世界崩壊の危機を救う」こととも大して変わりはない。
しかし、『ドラクエ』や『神々の遺産』では、クリアすれば「世界を救って良かった」と、カタルシスを得ることが出来るのに、なぜ同じような話の『超力兵団』では得られないのか?
これは、『超力兵団』の世界観と設定が大きく関係しているのだ。つまり、「戦前の大日本帝国(天皇制国家)」が舞台であることと、天皇崇拝団体の組織「超國家機関ヤタガラス」(モデルは国家神道。以下ヤタガラス)が味方であることが原因だ。
それはなぜか。これは、戦前・戦中・戦後の日本の歴史、天皇家の歴史、天皇制の問題点をよく知っている人なら分かるだろう。分かりやすく言うと、「天皇崇拝団体であるヤタガラスの求めに応じて、天皇制国家を救い、天皇家を護る行動により、将来起こるであろう『日中戦争』と、『アジア・太平洋戦争』を止めることが出来なくなってしまった。東京大空襲も、沖縄戦も、原爆投下も防ぐことは出来ないし、日本によるアジアの植民地支配を終わらせることすら出来ない」ということになるからだ。これでカタルシスを得ようとする方が無理だと思うが。
むしろ、昨日書いたように、私の場合は「ヤタガラスを滅ぼす話の方がカタルシスを得られる」のだ。「天皇崇拝団体を滅ぼし、天皇制国家も滅ぼし、新たな日本を創る」ぐらいの壮大な話を、「所詮ゲームに過ぎない」のだからやって欲しいと思う。メガテンなら尚更である(そうしなかったのは「菊タブー」を恐れたからとしか思えないが)。『真・女神転生』は壮大な話だったのに、『超力兵団』は残念ながらスケールの小さい話なのが残念だ。一見すると壮大なスケールのように見えても…。壮大なのは戦艦と巨大ロボットだけだった。
最終話に関しては、またいずれ本家「ろーだいありー」の「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」シリーズでもっと詳しく掘り下げたいと思う。