最近、本家「ろーだいありー」ではセガのゲーム『シャイニングフォース・神々の遺産』(メガドライブ。以下『神々の遺産』)及びリメイク版『シャイニングフォース・黒き竜の復活』(ゲームボーイアドバンス。以下『黒き竜』)についての記事を書いているのだが、これに関連した話でも。
以前も似た話はしたかも知れないが、やはり、「いわゆる『勇者』(選ばれし者)が悪を成敗する話」というのは、『シャイニングフォース』シリーズや『ドラゴンクエスト』シリーズ、『ファイナルファンタジー』シリーズなどの「ファンタジー世界が舞台のゲーム」でやるのが相応しいのだ、と改めて思うのだった。
『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(以下『超力兵団』)のような、「戦前の大日本帝国を舞台としたゲーム」で同じような話(勇者が悪を倒す話)をやってしまうと(はっきり言ってしまえば『超力兵団』はそういう話である)、制作者の意図とは関係なく、特定の人たちからは「身分差別制度である天皇制と、天皇制国家を称賛する目的、そしてかつて日本が起こした戦争・植民地支配を賛美する目的で作ったゲームなのであろう!」と思われてしまう可能性が高いのだから、危険だと思う。子どもたちへの影響力も考えるべきだろう。
それにしても、以前も書いたが『超力兵団』と『神々の遺産』及び『黒き竜』にはなぜか似通ったところがある(世界観は違うのだが)。港町での失踪事件、掘り起こされた(または自ら掘り起こす)墓場、教会での戦闘、謎の「塔」に登る話、ロボットが出てくるところ(しかも「兄弟ロボット」も居る)、オカルトめいた話(『超力兵団』は元々オカルトめいた話であるし、『神々の遺産』及び『黒き竜』にある「失われた古代文明」はオカルトっぽい)とかね。あとこれは『黒き竜』のみだが、「身分の高い娘が『家の者』に殺されそうになったために逃走し、主人公に助けを求める」という話も似通っている…。