以前の記事。
『シャイニングフォース』をやっていてふと思ったのだが… - 悪魔ハンター桐嶋ローダVS八咫烏
『シャイニングフォース』をやっていてふと思ったのだが…・その2 - 悪魔ハンター桐嶋ローダVS八咫烏
この二つの記事で、『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(以下『超力兵団』)の世界観・設定とストーリーは、制作者の意図とは関係なく、特定の人たちからは「このゲームは戦前の日本を舞台とし、天皇崇拝組織・超國家機関ヤタガラス(以下ヤタガラス)を味方にし、天皇が神である『古事記』を真実として、天皇に反逆した者たちを倒していくのだから、身分差別制度である天皇制を賛美し、天皇を神格化することまで称賛しているようにしか見えない。その上で、日本が起こした侵略戦争を美化するため、日本が韓国などを植民地支配したことを正当化するために作った話なのだろう!」などと思われてしまう、といった旨のことを書いたが、これに関連してもう少し書きたい。
この「製作者の意図とは関係なく~」というのは、どんな作品でも起こることであるのは確かだ。例えば江戸川乱歩の小説『芋虫』(若松孝二監督の映画『キャタピラー』の元ネタ)は、乱歩の意図とは関係なく、左翼から「反戦文学」と称賛された…という。
そして、『超力兵団』の制作者がこのゲームを作った意図というのも、「戦争賛美・右翼思想賛美・天皇の神格化称賛・天皇制賛美・植民地支配正当化・身分差別などの差別の正当化」が目的ではなく、「平和・平等への願い」と「若者に希望を持たせるため」なのだろう、とは私も思っている。
だが、制作者の意図がどうであったとしても、『超力兵団』の世界観と設定とストーリーでは、「こんな、天皇崇拝の組織・ヤタガラスを味方として、本来は戦犯の昭和天皇の父・大正天皇を救ったり、『古事記』を現実に起きたものとして(つまり「天皇は神の子孫、神武天皇は実在した」というのを本当のことにしている)、天皇にまつろわぬ者たちを倒し、韓国にまつわる名前を持つ少女(「伽耶」)と戦うようなゲームで、『平和と平等の願いと若者への希望を託した』などと言う方がおかしいではないか! 本当は、右翼思想の推奨・天皇の神格化・あらゆる差別の根源である天皇制の称賛・日本が起こした侵略戦争の美化と正当化・日本が韓国などを植民地支配したことの正当化・日本の歴史を都合よく改竄することなどが狙いなのだろう!」と捉えるプレイヤーが現れるのは無理もないことだ(まあ、少なくとも私はそう捉えてしまう)。
もしも「ライドウは、天皇崇拝組織のヤタガラスと敵対する者。最終ボスは霊鳥・ヤタガラス。エンディングではヤタガラスと天皇制国家が滅びる。ライドウの活躍のお陰で植民地支配が終わり、韓国人や台湾人から感謝される。将来起こるはずだった戦争も止めることが出来た」という話であれば、そうは思わなかったのだろうけどね。まあ、菊タブーに敏感な右翼が怒るから、こんな話は作れないだろうが。
こちらにも似たことを書いたので参照。