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kirishimaloda6915.hatenablog.com
『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2。以下『超力兵団』)及び続編と同じアトラス社のゲームで『ペルソナ2・罪』(プレイステーション)と『魔剣X』(ドリームキャスト)があるが、このゲームには「ナチスの描写」などの重大な問題がある。しかしリメイクではその部分は修正されているので、オリジナルの『ペルソナ2・罪』と『魔剣X』は永久に封印された作品なのだな…、『超力兵団』と続編も同じように封印して欲しい…、といったことを書いた。
これに関連して、もう一つ書こう。
「『ペルソナ2・罪』と『魔剣X』は確かに封印作品だろうが、ナチス描写を修正すれば出せるわけだし、『超力兵団』と続編も、一部不適切な表現があるとしても、そこだけ直せばまた出してもいいと思うが?」というような意見もあるかも知れないので(そもそもこの『超力兵団』と続編の表現に問題があるとは思わない人の方が多数派だろうが)、一応書いておこう。
現在でも、『超力兵団』と続編、及び『葛葉ライドウ』シリーズの復活を望む声は根強くあることは承知している…。そんなファンからは嫌われる覚悟で言っておこう(私にとっては、他のメガテニストに好かれるとか嫌われるとかは、もはやどうでもいいこと…)。
『ペルソナ2・罪』や『魔剣X』は部分的に修正すればいいのだろうが、『超力兵団』と続編については、「そもそも基本設定自体に問題があり、特に『超力兵団』は基本シナリオ自体にも問題があるため、部分的に修正するなんてことは事実上不可能」なのだから、復活させてはならないと私は考えている。
どこに問題があるかは、詳しくは最近の記事を参照して欲しいが、簡単に言うと、そもそも「ライドウは、天皇を崇め奉り、日本…というよりは国体(天皇制国家)を陰で守護している組織『超國家機関ヤタガラス』(以下ヤタガラス)の配下である」基本設定(これは『超力兵団』でも続編でも同じ)が「右翼とネット右翼から喜ばれやすい」ものなのは問題だし、さらに『超力兵団』は、「ヤタガラスの命令で、帝都(言い換えると「天皇の住処」)を護るために、天皇にまつろわぬ者を倒し、大正天皇を(自らを犠牲にして)救い、伽耶(韓国に関わる名前)という少女を倒す」シナリオであり、これもまた「特に右翼やネット右翼から称賛されやすい」ものであることは大問題だと考える。
それで、例えばアトラスやセガの上層部から、「『超力兵団』は、極右団体としか思えないヤタガラスを味方として、天皇を救ったり、天皇に逆らう者と『伽耶』を倒すなど、ネット右翼が喜びそうなゲームである。歴史修正(改竄)主義や嫌韓・嫌中思想が一般にまで浸透してしまった今の時代には、若者への影響力の強さを考えると復刻出来ない」と言われたとして、クリエイターが「ではその部分さえ直せばいいのか」と思ったとする。しかしそうすると、「ライドウの基本設定」から見直さなければならないし、シナリオすら書き換えなければならなくなる。そんな面倒なことをしてまで、『超力兵団』(と続編)を復刻させたいと思うのだろうか?
さらに、もしも…もしもの話。『葛葉ライドウ』の新作を企画したが(私は新作も出して欲しくないが)、これもやはり上層部から「ヤタガラスが味方なのはダメだ」と言われたとして、「ではライドウがヤタガラスと戦って滅ぼす話はどうだろう」と思いついても、「そんなゲームを創ると、右翼から『神聖なる天皇を崇めるヤタガラスを滅ぼすゲームとは、不敬な! このメーカーは反日左翼企業か!』とか言われて、アトラスが襲撃されるかも…」と怖れて出せないだろう。逆に新作でもまた『超力兵団』と同じように「ヤタガラスの味方をして、ヤタガラスに逆らう者を倒し、国体と天皇を護る」話にしたら、今度は私のような歴史修正(改竄)主義嫌いのメガテニストや左翼から「またも天皇崇拝団体を味方にして、天皇を護る話にするとは何事か! 若者への悪影響は考えていないのか!」と怒られるだけなのだけど。
現在は2006年~2008年頃よりも、アトラス及び現在は親会社になっているセガの知名度は高くなっていることもあるので(『ペルソナ』人気のために『メガテン』の知名度もいくらか上がっているのかも知れない…)、うかつに右翼・左翼を刺激するものは出せないのではないか。諸事情でアトラスがセガの子会社になってからは、セガの意向も気にしなければならなくなっているのだろうし…。
私が思うに、そもそも『葛葉ライドウ』シリーズは、世界観と基本設定を作った時点で、「もう取り返しがつかなくなってしまった」(設定を誤った)作品なのではないか(これは他の『メガテン』ではあまり見られない特徴だと思う)。「天皇が神だった時代に、天皇を守護する組織を味方とする」設定にした時点で、もう…。しかもこれを『メガテン』シリーズの一種として作ってしまったのもまた、取り返しのつかないことなのだろう。つまり、「イザナキ・イザナミ・アマテラス・ニニギノミコト・神武天皇」も実在してしまう世界観のゲームだから、天皇が本当に「神」になってしまうわけで(右翼が喜ぶ設定ではないか?)。
一度こういう設定にしてしまうと、ファンもそういった設定が続くように望むことが多いため(私は除くが)、その後はもう「その設定を踏襲するしかなくなってしまう」わけだ。もし「次回作は、ライドウがヤタガラスを裏切り、ヤタガラスと戦う話にしよう」としても(次回作は望まない私でも、そういう話だったら歓迎するが)、ファン(と右翼とネット右翼)の怒りを怖れて創れないだろう。「次回作は、ライドウの設定自体大幅に変えて、ヤタガラスの敵にしよう」というのも(私はそうして欲しいが)、「三作目で、突然ライドウの設定が変わるなんてありえない! シリーズファンを無視している!」と怒りを買うので、事実上不可能だし。
こちらも参照。
本家「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?』シリーズの概要 - 悪魔ハンター桐嶋ローダVS八咫烏
もっと深い「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」第一回目 - 悪魔ハンター桐嶋ローダVS八咫烏
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