『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2。以下『超力兵団』)で、天皇を守護し崇め奉る組織「超國家機関ヤタガラス」を味方にするのは良くないと繰り返し書いているのだが、「ゲームに天皇を出すことそのものが悪い」と言いたいわけではない。まあ、天皇・天皇制を蛇蝎の如く嫌う強固な反天皇制の人たちは、「天皇をゲームに出すこと自体良くない」と言うだろうが。
以前も似たようなことは書いたが、例えば日本の近現代史を学ぶための「歴史ゲーム」なら、天皇が出てくるのは必然的だと思うので構わないと考えている。西郷隆盛をゲームの主人公にするなら(『西郷どん』?)、やはり「天皇」(天子様)が出てくることに違和感は無い。
ちなみに、海外ではこんなゲームもあるとか…(日本未発売。右翼が抗議するから日本では出せないのだろう)。
…これなんてさすがに苦笑せざるを得ない。実際は「天皇陛下万歳!」が断末魔の日本兵より、「お母さん!」などが断末魔の日本兵の方が多かったのではないだろうか。ゲーム内では「日本兵の残虐行為」も描かれているらしいが、あくまでゲームなので、どこまでが本当でどこまでがフィクションかは分からない。まあ、中国や韓国などでは日本兵が散々酷いことをしたのは事実だから…(ネット右翼は認めないが)。
『超力兵団』の場合、大正天皇を「やんごとなき重要な御方・護るべき者・命がけで救うべき者」、「彼を救わなければ日本の終わり」のような表現をしていること(第七話参照)が非常に問題だと思う。特にこのゲームは、神々も実在する『メガテン』の一種なので、「天皇は現人神である」という作り話でさえも、本当のように思わせてしまうところもまた問題だ。
そして「天皇制は、天皇や皇族を『やんごとなき御方』として扱い、それ以外は『平民』とする、身分差別制度である(「家父長制」の大本なので、女性差別なども含まれる)」ことを念頭に置くと、「このゲームで『大正天皇を救う』ということは、そのような差別制度を死守することでもある。差別を推奨しているゲームなのか」といった見方も出来てしまう。それもまた重大な問題であろう(たとえ製作者にそういう意図は無いとしても)。こうして考えると、「ゲーム上の設定で、天皇崇拝組織が味方である」ことは、「ある意味では差別思想を推奨する表現」とも言えるのだが、倫理規定には引っかからないのだろうか。「CERO」の倫理規定では「差別表現は禁止」なのだが…。
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