悪魔ハンター桐嶋ローダVS八咫烏

「ろーだいありー」の「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」の外伝ブログです。主にPS2ソフト『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』のことを書いています。

こういった「ゆるふわ戦争アニメ」が流行るご時世には…

『この世界の片隅に』という作品がある。今更説明するまでも無いだろうが…。なぜか保守派やリベラル派などあらゆるに方向に受けるらしい…。

 

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私自身は原作・アニメ映画・ドラマも未見であるが(原作ぐらいは一度読んでみたい気はしている…)、こういう「ゆるふわな戦争アニメ」、「戦争の中にも穏やかな日常が…」といったものが流行ることは、一種の危機感を覚えるのも事実だったりする。

だいたい、「戦時下にも穏やかな日常…」というテーマなら『日本のいちばん長い日』(原田眞人監督)でも既にやっていると思うのだが…(戦争中でも穏やかに朝食を食べていたり、カードゲームに興じているシーンがある)。

『この世界の片隅に』のような、「暗い時代でも穏やかな日常があり…」といったものが流行ると、今度は「植民地時代の韓国や台湾、中国などでも実は穏やかな日常が…」を強調したものとか(まあ確かにそういう面はあろうが、過酷な時代だったことは事実なので…)、歴史修正(改竄)主義本にあるような「植民地時代は実は明るかった、日本は韓国などにいいことをした」といった映画などが流行りそうで、それが怖ろしいと思う。「ゆるふわ植民地支配アニメ」、「植民地時代は実は明るかったアニメ」なんて作ったら、多分左派などから猛抗議が来そうだけど、『この世界の片隅に』ではそんなことは無いのか…。

『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2)にも、わりとその手の「ゆるふわもの」と近い一面があると思う。「1931年の大日本帝国でも、一生懸命明るく生きる人たちが居た…」という感じの。

実際の1931年は、人種差別、治安維持法、不敬罪などがある、過酷な時代だったのだろう(特にアナーキストや左派にとっては)。無論、そんな時代でも楽しく生きる人たちは大勢居たのは事実であろうが、それだけを取り出して「戦前は明るかった、実はすごい時代だった」という印象を与えるのは危険だと思う。在日韓国人などが、過酷な思いをして暮らしていたことなども知るべきだ。

それで、もしも今の時代にまた『ライドウ』シリーズを出すとなると(出して欲しくないが)、先ほどの『この世界の片隅に』からもろに影響を受けたものが出来そうな気がするので、ちょっと危険だよなぁ…、と思っている。