前も似たことは言ったが、『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2。以下『超力兵団』)のゲーム内容では、いくら製作者が「平和への願いとか、差別が無くなればいいなとか、若者への希望を託して作った」としても伝わらないだろう…、と私は思っている。
それは、「天皇を守護する組織・超國家機関ヤタガラス(以下ヤタガラス)を味方とし、天皇と国体を救うために天皇にまつろわぬ者を倒す」コンセプト自体が問題だから。
右翼と天皇好き、皇室ファンは「天皇こそ素晴らしい日本の象徴、平和の象徴、神聖なるもの、敬うべきもの」などと言うだろうが、実態としては天皇制は身分差別制度であり、また「家父長制」の象徴なのだ。さらに明治天皇・大正天皇・昭和天皇は軍の大元帥だった。そして昭和天皇にはアジア・太平洋戦争などの戦争責任がある(植民地支配責任も)。そう考えてみれば、天皇制を嫌ったり存在に疑問を持つ人からは「天皇を救うようなこのゲームで平和と平等だと? 笑わせてくれる!」と言われてしまうだろう。さらに本来「ヤタガラス(八咫烏)」とは「神武天皇(初代天皇と言われるが架空の人物とされる)を導いたという伝説の烏」のことだから、どうしても「組織のヤタガラスも天皇家と結びつきがあるとしか思えない」わけで、天皇家を嫌う人からは嫌悪されるだろう。
「天皇を護っている」ということは、「ヤタガラスは様々な差別に加担している」わけで、天皇家が嫌いな人や天皇制に違和感を持つ人は「そんな組織に属するライドウを活躍させるのは、差別を推進しているようにしか見えない。たとえ製作者の狙いはそうでは無いとしても」と思うのではないか。