『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2。以下『超力兵団』)と続編に出てくる組織・超國家機関ヤタガラス(以下ヤタガラス)のモデルは、実在した国教「国家神道」と思っているが、「本来の神道では無いのか?」という意見もありそうなので一応書いておこう。
説明しておくと、神道とは、簡単に言えば「古くから日本にある宗教」で、国家神道は明治維新の後に「天皇を神格化するために本来の神道に手を加えたもの」ということだと考えている。当時は俗に「国家神道」とは呼ばれずに「神道」と呼ばれたが、敗戦後に本来の「神道」と区別するためにそう呼ぶようになった…、とされる。
この『超力兵団』の世界観そのものが「神道」をベースとしていることは明らかだが、ヤタガラスは古来からある神道というよりは「国家神道」に近い。本来神道には「教えも救いも無い」とされるのだが*1、ヤタガラスには明らかに「教義」(ドグマ)が存在する。そのドグマとは、第七話のシナリオにある「天皇を救え、救わなければ許さない」だ。
詳しくは以下の記事を参照。
シリーズ記事「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」・第二回目 - ろーだいありー
シリーズ記事「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」・第三回目 - ろーだいありー
シリーズ記事「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」・第四回目 - ろーだいありー
シリーズ記事「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」・第五回目 - ろーだいありー
このドグマは、「教育勅語」の教えに近いものである。教育勅語の中で、「もし国家に危機が迫れば、命を懸けて国体と天皇を護りなさい」と教えているとしか考えられない箇所がある。教育勅語自体、「国家神道」から派生したものと考えられるので、ヤタガラスの言っていることが「教育勅語」に似ているのも、ヤタガラスが「国家神道」をモデルにしているという証では無いだろうか。
それにしても、右翼や保守派はどうしても「教育勅語」を復活させたいらしい。実際、そういう動きはあったりするようだし…(某幼稚園の話とか)。それはとても危険だと思う。そんな時代では、教育勅語を思わせる話が出てくる『超力兵団』は、右派からは称賛されやすそうだし、何だか危ういんだよなぁ…。だからこそ『超力兵団』は、今の時代には復活させて欲しくないと願っているのだが。
参考文献
- 神道はなぜ教えがないのか(島田裕巳著/ワニ文庫)
- 神道入門―民族伝承学から日本文化を読む(新谷尚紀著/ちくま新書)
- 教育勅語を読んだことのないあなたへ なぜ何度も話題になるのか(佐藤広美+藤森毅著/新日本出版社)
↓クリックしてね!
*1:『神道はなぜ教えがないのか』(島田裕巳著/ワニ文庫)などを参照