『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション。以下『超力兵団』)の舞台は1931年の日本であるが、この時代を舞台とすること自体は別に構わない。だが、この時代を扱う場合、相当慎重でないと「戦争賛美」などに繋がりかねない。
この時代では「天皇は神だ、日本は神の国、韓国や台湾を植民地にしたことは正しい、天皇のために戦うのは素晴らしい、天皇にまつろわぬ者は非国民」といった思想がまかり通っていたのは事実だ。だが、戦後にこの時代を扱った作品を作る場合、それに対する批判も盛り込まなければ、「天皇制賛美・戦争賛美・植民地主義賛美」作品になってしまう。『超力兵団』の問題点はそれで、天皇を守護する組織・超國家機関ヤタガラスに対する批判があまり盛り込まれていないために、「天皇制賛美・戦争賛美・植民地主義賛美」作品のように見えてしまう。
特に今の時代は、大手マスコミでさえも「韓国は反日だ、日本を批判する者はみんな反日だ、日本の戦争は悪かったなどと書くのは反日だ」といった主張を並べるようになってしまった。特に「新潮」やフジサンケイグループなどがそうだろうか。こんな時代に『超力兵団』及び『ライドウ』シリーズが再び世に出るのは危険だと思っている。「天皇を救い大日本帝国を護るために戦うライドウは素晴らしい。宗像もスクナヒコナもみんな天皇にまつろわない反日だから倒してしまっていいのだ」という風に、右翼や「自称・愛国者」から称賛されやすい空気がすでに整っているからだ…。普通は「称賛」はありがたいことだろうが、この場合はまったくありがたくない…。「右翼から称賛されるような若者向け作品」は、今の時代には出すべきではない。
こちらも参照。
kirishimaloda6915.hatenablog.com
↓クリックしてね!