何度も書くが、『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2。以下『超力兵団』)は、「『古事記』が現実となっているとしか思えない世界観」を持つゲームであるが(『メガテン』シリーズは神も悪魔も実在するため)、「神話を現実化したゲームを作ること」自体が悪いわけではない。
他社のゲームで『ヘラクレスの栄光』シリーズ(ファミコン他。元はデータイーストのゲームで今は「パオン」が権利を持つ)があるが、これにはヘラクレス、ゼウス、ビーナスなどの神々が多数登場しており、ギリシャ神話を現実にしたような世界観のゲームである。それは特に問題は無い。
だが、『超力兵団』の場合、ギリシャ神話ではなく『古事記』を現実化していることが問題である。『古事記』は、ギリシャ神話とは違い「古代の神話と、天皇家を強引に結び付けて編纂された、天皇家に都合のいい政治的な読み物」であることに注目するべきだ。
しかも『超力兵団』の舞台は1931年の日本であり、「天皇は神、日本は神の国」なんて戯言が真実としてまかり通っていた時代だ…。この時代を舞台として、『古事記』という「天皇家にだけ都合のいい政治的な読み物」を現実にするとは、どういう意味があるのか、を考えてみればいい。
『ヘラクレスの栄光』でギリシャ神話が現実になっていても、別に政治的な意図など感じることは無いが、『超力兵団』にはどうしても政治的・歴史修正的な匂いを感じ取ってしまう。特に今の時代に見ると、「後の右翼思想・歴史修正(改竄)主義・嫌韓の蔓延を予告しているかのようだ…」とも思える。
こちらも参照。
kirishimaloda6915.hatenablog.com
↓クリックしてね!