本家「ろーだいありー」の記事。
この中で、スクウェア・エニックスのNintendo Switchソフト(ダウンロード専用)『サ・ガ コレクション』(以下『サガコレ』)を買ったことを書いた。これはゲームボーイで出ていた『サガ』シリーズ三部作(当時はスクウェアから発売)を移植したもの(海外版も同時収録)。基本は完全移植ではあるが、一部変更点があったりする。
『サガコレ』収録作中、現在は初代の『魔界塔士Sa・Ga』と二作目『SaGa2 秘宝伝説』をプレイしているが、『魔界塔士Sa・Ga』の方はもう終盤まで来ている(元々短編だから…)。この『魔界塔士Sa・Ga』の『サガコレ』版では、ごく一部だがセリフやアイテム名、モンスター名に変更がある。モンスターやアイテムについては、主に「他の作品のパロディ的なもの」は今ではマズいと思って変えているのだろう(モンスター「ねずみ男」が「ねずみ親父」になったのは水木プロに配慮した変更と思われる)。ただ、魔法の本の一種「念仏の本」(ゾンビなどに有効)が「浄化の本」になってしまったのはなぜか? 「念仏」は宗教絡みだからマズいのか(それなら「神」がラスボスというのもマズいのだが)…? このあたりはいずれ「ろーだいありー」の方で詳しく書きたい。
もっとも大きい変更点は、第四世界の「原発」絡みのセリフだろうと思う。「原子力発電所」が「超科学発電所」になっている、など(でもマップにある原発っぽいグラフィックは変わっていない…)。まあ、別にゲーム倫理では「原発絡みの表現は禁止」と決まっているわけでは無いと思うので、福島原発事故の被害者に配慮した自主規制だろう(しかし武器の一種「核爆弾」はそのままなのはなぜだ?)。ただ、一部セリフが変わっていると言っても『魔界塔士Sa・Ga』の基本ストーリーが揺らぐようなことは無いので、私は特別問題視はしていない。
『魔界塔士Sa・Ga』の場合は、このように一部の表現を変えれば今でも出せるし、変更したとしても大まかなストーリーそのものが大きく揺らぐことは無い。だが、『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(アトラス。プレイステーション2。以下『超力兵団』)の場合はそうも行かないだろう。このゲームでは「大正天皇(天皇とは呼ばれていないが、よく考えればそれとすぐに分かる人物)を守護する組織・超國家機関ヤタガラスが味方」という基本設定自体が、「天皇制は身分差別制度であるからいずれは廃止して良いと思うし、大正天皇の息子・昭和天皇は戦犯である」と考える私のような人間から見れば「大問題」であり、「もしも『超力兵団』を復刻するなら(すべきではないが)、この設定自体を変えるべきだ」と思っている。さらに「第七話で『大正天皇を救わなければ進めない』のも、日本による侵略戦争と植民地支配、差別を称賛するようなものだから削除すべき」と思う。それから「最後に戦う『伽耶』というヒロインの名前も変えた方がいい。古代韓国を思わせる名前だし、伽耶を日本人の主人公が打ち破るのは『韓国を征服したことを正当化する』ような意味合いに見えるから」とも考えている。
もうひとつ言うと、『超力兵団』では「関東大震災が無かった」設定で、そのため現実の1931年の東京(このゲームの主な舞台。史実では昭和6年だがゲームでは架空の「大正20年」)とは若干街並みが異なっているようだ。しかしこれについても、「今の日本では『右翼による歴史修正(改竄)主義』が流行っていて、『関東大震災の時に起きた朝鮮人虐殺は無かった』という誤った歴史観も広まっている。それを考えると、『関東大震災自体無かった』設定は好ましくないから変えるべき」と思う。
もしも『超力兵団』から「天皇守護組織を味方とする」設定と「第七話」を削除し、関東大震災もあったことにして、ヒロインの名前も変えると、ゲームの舞台も、基本ストーリー自体も大幅に変わってしまうことになる。だから、『魔界塔士Sa・Ga』とは異なり「一部の問題表現を削除すると出せない可能性が高い」ゲームである。
まあ、私としては「どんな形であれ『超力兵団』と続編、そして『ライドウ』シリーズ自体、もう再生すべきではない」、と繰り返し言うだけなのだが。