これはいずれ本家「ろーだいありー」の「『超國家機関ヤタガラス』はなぜ怖ろしいのか?」シリーズで深掘りしたいテーマである。
最近『被差別部落認識の歴史 異化と同化の間』(黒川みどり著/岩波現代文庫)という本を読んだ。それで思ったのだが、天皇制とは「家父長制、家制度の大本であり、あらゆる差別の象徴」と言える制度である。このブログで何度も書いているように、『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2。以下『超力兵団』)には「大正天皇を守護する組織・超國家機関ヤタガラス(以下ヤタガラス)」を味方とする設定があるが、天皇守護組織を味方にするのは「あらゆる差別を正当化する」ことに繋がると思っている。その中には当然「部落差別」も含まれるわけだ。
『超力兵団』では「被差別部落」出身とはっきり分かるキャラクターは恐らく出てこないが、出てこなくても確実に存在はしているだろう。このゲーム上での「部落差別」は、「天皇を護っているヤタガラスによって引き起こされている」のは間違いの無いところだと私は見ている。そのヤタガラスを味方にすると、主人公のライドウ自身もまた「部落差別」に関わっていることになる…。
もう一つ言うと、このゲームのラスボスは「ヤソマガツ」という巨大ロボット(戦艦に変形する。兄弟ロボットとして「オオマガツ」も居る)であるが、このヤソマガツ(及び「オオマガツ」)の由来は「『古事記』に出てくる『穢れ』の神」である。穢れの神の名を持つロボットを、天皇守護組織ヤタガラスの配下であるライドウが倒すのは、「天皇が穢れを祓う」ことの暗喩であるのかも知れない。だが、この「穢れ」思想は「部落差別」や「女性差別」などの差別を引き起こす思想であることも確かなので、安易に青少年向けの作品に取り入れるべきではないと思う。
参考文献
- 被差別部落認識の歴史 異化と同化の間(黒川みどり著/岩波現代文庫)