『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2。以下『超力兵団』)では別に「天皇陛下万歳」といったセリフが出てくるわけでは無い。まあ、この時代だから(架空だが1931年の日本が舞台)実際には政府が「天皇陛下万歳と言え」と臣民(植民地の人々も含む)に命じていたのは確かだ。
しかしながら、このゲームをプレイしているとどうしても「やはり『天皇陛下万歳』を称賛しているようなゲームである」とは感じずにはいられない。多分、「天皇家好きな人、天皇家など別にどうでもいいと考える人」には分からないだろうが、天皇制に疑問を持つ人間はその辺は敏感なので、すぐに気が付くわけよ。『超力兵団』の第七話を見て「超國家機関ヤタガラスは天皇を守護している」と分かるのも、天皇制について敏感な人間だけなのだろうか。
はっきり言うと「天皇陛下万歳」とは直接言ってなくても「それを連想させ、なおかつそれについて批判的な描写も無い」このゲームは、その時点で「天皇制の持つ差別性、天皇の名の下に起こる侵略戦争と植民地支配などを認める、美化する」ことになると私は思っている。実際の日本の歴史を学ぶためのゲームであれば「かつての日本では、臣民は天皇陛下万歳と言わされていた」といった描写はあってよいが。