何度も書いているが、『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団(Devil Summoner: Raidou Kuzunoha vs.the Soulless Army)』(プレイステーション2)では「日本と大正天皇を守護している組織・超國家機関ヤタガラス」(以下ヤタガラス)が味方であるが、製作者としては当初は「日本と天皇を守護しているヤタガラスが居る限り日本は永遠に安泰である」といったストーリーにしたかったのかも知れない。
でも実際は「軍の大元帥たる天皇が戦争を引き起こす」のだから、「ヤタガラスが居れば日本は戦争も起こらず安泰…」といった描き方をすると確実に反天皇制の人などから抗議が来るので、それを避けるためにラストダンジョンのアカラナ回廊では「将来戦争が起こる」(それは「天皇とヤタガラスのせい」であることは伏せているが)とか、「ヤタガラスは将来メシア教になって恐るべき監視社会を作る…」という、「ヤタガラスが居ても戦争は避けられない」とか、「ヤタガラスは実は良くないものかも知れない」といった描写を入れたのかも。国家神道がモデルのヤタガラスがメシア教(キリスト教がモデル)になるのは荒唐無稽なので、私は信じてないけど。
本当に「天皇とヤタガラスが居れば日本は永遠に平和で安泰」であるならば、そもそも日本に「人殺し集団」である軍隊なんか存在していないし、アジアに対する侵略戦争も植民地支配もしないはず。そう考えると、このゲームは舞台設定自体(1931年の日本。元号は架空の「大正20年」)が間違っていたようにも思う。
もしこのゲームのコンセプトが「平安時代の京都を舞台として、まだ軍の大元帥でも現人神でも無い天皇を救い、まだ日本軍も無く侵略戦争もせず『帝国』とも名乗っていない頃の日本を護る」だったとしたらそんなに反発は来ないかも知れない(まあ、いずれ天皇が東京に来て軍の大元帥になる未来は変えられないのだろうけど)。しかし実際は「1931年の帝都・東京が舞台で、軍の大元帥で現人神でもある天皇を救い、天皇にまつろわぬ神を倒して、侵略国家・大日本帝国を護る」をコンセプトにしてしまったものだから、私のような反天皇制のプレイヤーからは反発されるんだよ…。