『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団(Devil Summoner: Raidou Kuzunoha vs.the Soulless Army)』(PS2。以下『超力兵団(Soulless Army)』)の三周目は何とか続けている…。時々イラつくけど…。ようやく第参話まで来たところ。第弐話の赤マントは最初は倒すのは無理と判断してリセットし、二度目はデビルカルテで強力な仲魔を呼び出して何とか倒した(二周目以降はレベル差関係無く金さえあればデビルカルテより悪魔を呼び出せる)。赤マントはかなりムカつく…。ここで投げた人も多いのでは? このゲームのゲームバランスは悪く(前半なのに強敵が出ることも多い)、それ故クソゲー扱いされやすいのだろう。私もやっぱりクソゲーだと思う(笑)。ただし強烈に嫌う点も多いが強烈に惹かれる点もあるため、クソゲー扱いしつつ結局離れることは出来そうにない…。そのうちプレイ記録をまとめて書く予定。
第弐話で倒した赤マントの正体は、人力車の車夫である「飯田」という男なのだが、通常は赤マントを倒して正体が分かった後に死亡してしまう。ある条件を満たせば生かしておくことも出来るが、今回は死なせることにした。飯田は車の普及によって人力車の車夫としての仕事が減ったことで生活に喘いでいる…、という設定がある。
『超力兵団(Soulless Army)』の主人公・ライドウは天皇と日本守護組織・超國家機関ヤタガラス(以下ヤタガラス)に協力している身である(ヤタガラスには逆らえないのだから実質的にはヤタガラスの配下)。そのライドウが飯田のような「社会の底辺で喘ぐ人を救う」のは、実はマッチポンプである、と私は思っている。なぜかって? そりゃ「天皇制こそが身分差別・部落差別・女性差別などの差別の根源である」からだよ。
そう、飯田が生活苦なのは、元を辿れば「天皇家の人間だけが特別扱いされて裕福に暮らし、その他の庶民は『臣民』として天皇より下の身分として扱われていること」が根本にあることは間違いない。その飯田を、ヤタガラスに仕えるライドウが救うのは、完全にマッチポンプなのである。だから「天皇を守護する組織に仕えるライドウが、天皇家の人間だけが特別扱いされているせいで、社会の底辺で生きるしか無かった飯田を助けようとしたが死んでしまった」という展開の方が、悲しいけれども生かしておく展開よりはいくらかマシである。だって飯田を救うことが出来てしまったら「ライドウよ、お前は身分差別制度である天皇制を維持する立場でありながら、身分制度のせいで苦しむ飯田を救った。それこそマッチポンプだ。本当に飯田を救いたければ、ヤタガラスを滅ぼし天皇制も廃止しなければならなかったのだ! それに気付かなかったのか!」という誹りは免れないのだから。
それと個人的に気になるのは、『超力兵団(Soulless Army)』の登場人物たちはほとんど内向きのことしか言わず、日本によって植民地支配されて苦しんでいる人のことなんて何も考えていないんだな…、としか思えないところだ。植民地支配について触れたシーンはほぼ無いし。飯田が死んでしまった場合、鳴海が「普通に死ぬのが一番だよ」みたいなことを言うのだが、1931年当時の日本に支配されている韓国や台湾の人の中には日本軍による弾圧で殺される人も大勢いることには気付いていないのか…、抗日の人々は普通に死ぬことなんて出来ないんだぞ…、と考えるとどうもイラつく…。